新内節 富士松延治太夫にきく

横浜邦楽邦舞家協会を立ち上げ、長年会長を務めてきた新内節相模派家元の富士松延治太夫さんのお稽古場でお話を伺いました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

インタビュアー(以下  I)数ある伝統芸能の中で<新内>を選んで、お始めになったきっかけって何だったのでしょう?

富士松延治太夫(以下 F) それはね、東映の時代劇だったの。クロべの頭にテングを載せて、2丁三味線が出てきて。またイイ音が出るのよ。流れてきたの。それでな〜んとも言えない音だなぁと思って。でも始めは何だか全然分からなくって(笑)で色々と調べてたらそれが<新内流し>だと分かって。でまた同じ映画観に行って感動が増しましてね、習おう!と思ったんです。それで新内を習いたいから御師匠さんを教えてくださいと新聞広告に出した。

( I )それは!生徒募集などで出す方はいそうですが、、、なんだかすごいですね!

( F )でもお師匠さんがなかなか見つからなかった。教えてる方が横浜には居なくって、本当はいらっしゃったんですけど(笑) そのうち<新内小唄>を教えてらっしゃる方が、日吉にいると知ったんです。それでそちらにお世話になりに行くことにして。そうしたら年配のお師匠さんが喜んでくださってね、「あなた唄も良いけど、三味線もおやりなさい」と言われて三味線も教えて頂いた。でもその内、自分の憧れてやりたいと思った<新内>は<新内小唄>とは違うと分かって、お師匠に<新内>が習いたいと言ったんです。そうしたらお師匠さんが東京で<新内>と<新内小唄>両方とも教えてる人を知ってるから紹介してあげると言ってくださって。そこで新内勝恵という女性のお師匠さんに出会いました。

( I )東京のどちらですか?

( F ) お稽古場はたしか目黒だったんだけど、そのお師匠さん最初は横浜まで出稽古に来てくださって。でもお師匠も忙しくなったり、色々あって出稽古に来ていただくのが難しくなって、府中の方までお稽古に伺うことになった。その辺でこの道で行こう!と決めたんです。

( I )それはおいくつくらいの時ですか?

( F )<新内小唄>を3〜4年習っていたから、、うん27、8ですね。

( I )その頃はお仕事されてたんですか?

( F )はい、サラリーマンやってましたからね。

( I )サラリーマンのお仕事は何か伝統芸能に関係のあるお仕事だったのですか?

( F )お酒の問屋でして、この仕事やるのだったら和事やった方が良いと当時の常務に言われたのはありました。常務は<義太夫>をやってましたね。

( I )趣味で?

( F )趣味とは割り切れない感じはあって、当時熱海や湯河原に接待に行くにあたって、そこで社員が芸を披露したりしてたんです。

( I )それはまた今では考えられないところもありますね(笑)これまたすごいですね。

( F )確かに。でも常務や仕事の先輩たちの芸を観て、影響を受けたところもあります。

( I )で<新内>一本でやっていくと決めて実際そうなさったのは?

( F )40歳で脱サラしてから<新内>一本ですね。

( I )ご結婚やご家庭を持ったのはサラリーマン時代ですか?

( F )はい。

( I )脱サラして<新内>一本でやっていくとなった時、奥さまや周りのの反応は、、、。

( F )いいわよと。でもそれは女房だけがそう言ってくれて、周りの方々からは反対されました。

( I )、、、いい話ですね!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

( I )野毛と富士松さんとの関わりについて聞きたいのですが写真とかございますか?

( F )ありますよ(と言って重厚なアルバムが出てくる)

( I )拝見します、うわっ!すごい賑やかそうですね!!

( F ) 当時はおっかけてくださる方もいらっしゃった。

( I )いやはやすごい(写真を眺めながら)、この頃は会社辞めてたんですか?

( F )まだ辞めてないかも、ちょっと思い出せない。何年て書いてある?

( I )平成3年、90年代アタマ、バブルの終わりの時期ですね。

( F )その頃は野毛を流すと新聞やTVも来てくれましたね。

( I )おお、これはやっぱり野毛を流してらっしゃるところなんですね。

( F )そう。声をかけて頂いたお店。

( I )ご自分からではなく、野毛商店街のお店の方から声がかかるのですか?

( F )ありがたいことにそうなんです。

( I )風情がありますね、素晴らしいなぁ。(とアルバムを見てたら虚無僧が出てくる)わっ何ですかこれは!

( F )それは横浜邦楽邦舞家協会の尺八の方に虚無僧流しをやってくださいと頼んで。

( I )いま野毛で虚無僧流しやったらヤバそうですね!!

( F )当時でもヤバかった(笑)

( I )う〜む、、写真からでも芸人と商店街の方々との関わりやパワーをムンムン感じますね。かっこいい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

( I )一番好きな演目は何ですか?

( F )段物、『佐倉惣五郎』や『千日寺名残鐘』などのセリフが多い、鳴らすようなものが好き。『弥次喜多』も好きだなぁ。最近は初心者の方がやる『蘭蝶』も好きで。

( I )『蘭蝶』って初心者がやるものなんですか?

( F )習いはじめ。難しいんですけれども。今度演奏会でもかけたいなと思っていて。代表曲だし、割とよく聴くのだけれど、商売人の方がやってるのをあまり聴けないと思っているので、僕がやってみようと。セリフなし、口説きのところだけとかを。

( I )それはぜひ聴いてみたいです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

( I )富士松さんは今の邦楽界やその状況についてはいかがお考えでしょうか?

( F )エピソードがあって。とある邦楽の他ジャンルとご一緒する仕事の時に他ジャンルの方から『新内なんてのは〜」的な今でいうディスを受けた時があったんです。その時思ったんです。『これでは邦楽界ダメだ」と。三味線音楽などはパッと聞いたら同じように聞こえるかもしれませんが、実際のところよく聴くとそれぞれのジャンルで独特の節回しだったり手付け、フレージングがあって各々、それぞれの良さがある。それなのに邦楽人同士で悪口というかいがみあってしまう現場があ

( I )ああ、了見が狭い、、

( F )そう思った。もちろんそのような態度の人ばかりではないし、逆に少数だとは思うのですが。ですから、邦楽に携わっている方、特に現在は他ジャンルでも互いの良いところを見て、尊重し合ってやっていくのが最低限のラインだと思うんです。今なんか皆、等しく大変な状況だと思いますし、そんな事やっている場合ではない。近い将来無くなってしまうようなこの状況で。今<新内>に携わっている方は多分700人くらいで。

( I )全国でですか?

( F )ええ。プロではない方も含めて。

( I )では先生がやり始めたときは?

( F )3千人はいた。

( I )いまはその三分の一以下ですか。

( F )うん。商売人、プロとしてやってる方が、太夫(唄方)が10人くらい。三味線がやっぱり10人くらい。

( I )

( F )ですから本当に色々考えます。若い方にやって頂きたいという想いもありますし。それをこれからやっていきたいですし。

( I )バトンタッチですね。

( F )僕は肥やしになりたいんです。

(名取の名札は自作)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

( I )では最後となりますが、この「横浜」という土地で邦楽、横浜邦楽邦舞家協会はどのようになっていけば良いとお考えですか

( F )横浜邦楽邦舞家協会は他にはあまりない多ジャンルが集まって構成されている組織なので、これを一同集まって手を取り合い、ジャンルを超えて普及、演奏、活動していければと思います。今まで27年間、色々とありましたが何だかんだで28年間、ここまでジャンルを越えた組織ができたので、横浜というのはさすが文化の街だと思います。ですので今までの積み重ねを若い方々に引き継いでいただいて、現在の感覚も取り入れつつ、この横浜で邦楽邦舞を普及していって頂きたいと思います。

カテゴリー: インタビュー タグ: パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です