薩摩琵琶 荒井姿水にきく

冬の終わりを告げる梅が、ほろほろと花びらをこぼし始めた2月下旬。日本を代表する薩摩琵琶奏者の一人・荒井姿水(あらい しすい)さんの稽古場にお邪魔し、色々なお話を伺ってきました。

 

 琵琶といって、一般的に思い出されるのは、怪談「耳なし芳一」(※1)かもしれません。全盲の芳一が弾き語る琵琶の素晴らしさゆえに平家の死霊に取りつかれ、最後には耳を取られてしまう、あの恐ろしくも物悲しいお話です。

 平家の墓場の中で、芳一が琵琶をかき鳴らし、壇ノ浦の合戦を歌い上げる姿に、実際に琵琶の演奏を聞いたことがなくても、イメージとしてその音色を持っている方も少なくないはずです。

 琵琶は弦楽器で、4本の弦を撥(ばち)で弾きます(5弦のものもあります)(※2)。大きな撥を用いることで、時にダイナミックに、時に繊細で情緒的な弾奏が味わえる楽器です。また、演奏と共に、日本人に親しみ深いストーリー(平家物語など)を語ることで何百年もの間、広く愛され続けてきました。

 

姿水さんが琵琶奏者となったきっかけは、同じく琵琶奏者であった、お父様とお爺様の影響でした。生まれた時から、姿水さんのそばには常に琵琶があり、物心つくころには自然と琵琶の弾き語りをしていたそうです。

姿水:「父としては、私が女ですから、生活の事を考えなくていいので琵琶を続けていってくれたらいいなと思っていたようです。でも、私は別に琵琶が大好きってわけじゃなくって…。ただ、とにかく当たり前のようにずーっと琵琶を聞いて育ちましたからね。門前の小僧とでも言うんでしょうか、気が付いたら…という感じなんです」

 そんな、姿水さんのお稽古場には、お父様である中谷襄水(なかたに じょうすい)さんの大きなお写真が飾られており、父娘の、そして師弟の絆のようなものを感じました。「見守られている」。そんな言葉がぴったりです。

 そして、稽古場にずらりと並べられた薩摩琵琶は圧巻で、まさに芸術品。これだけ多くの琵琶を同時にみるチャンスは滅多にありません。それも、明治時代に作られたものがほとんどと伺い、さらに背筋の伸びる思いでした。

 

流れるように美しい丸みを持つ薩摩琵琶は、「一面、二面」と数えられ、その原材料となるのは、桑の木です。桑と言っても養蚕に用いられる畑の桑とは違い、八丈島などの原生林にある「島桑」で、昔はタンス作りなどに使われたもの。非常に硬い材質であると同時に、「暴れる木」の異名を持ち、目を読めない作り手が作った琵琶はねじれてしまうそうです。

 気候の変化、宅地造成などさまざまな影響から、島桑も本数が減り続けています。しかし、それ以上に消滅の危機に瀕しているのが、薩摩琵琶の作り手。全国に一人しかいないため、新しい琵琶を作る事、修理することも難しい状態とのこと。

姿水:「作り手が減るってことは、それだけ奏者が減っているということ。奏者が少ないから需要と供給のバランスがとれているのよ。でも、このままじゃねぇ…」

 作り手と後継者の減少。これは、伝統邦楽全体の課題でもあり、取材陣一同深く頷きました。

 

 そんな状況を憂慮する姿水さんは、横浜邦楽邦舞家協会の新しい挑戦を好意的にとらえており、今後展開予定の邦楽や邦舞のワークショップなどを応援して下さるとのこと。その一つとして、姿水さんの義理のお父様お母様が建てられた家を、ワークショップの会場として開放してくれることになりました。

 昭和三十年代に建築された和洋折衷のモダンな家、広々とした庭には梅、桜、夏ミカンの木などが植えられ、古き良き日本を感じさせてくれます。それもそのはず、こちらのお宅は女優・樹木希林さんの遺作となった、映画「日日是好日」の舞台として使われた、いうなればロケ地なのです。

ワークショップ開始を記念し、この家の呼び名を「櫻庵(おうあん)」と決めました。春の訪れがますます待ち遠しくなりそうです。

 これは和楽器全般にも通じますが、琵琶は音を音として耳で覚えていきます。洋楽器が五線譜を見て練習するのと違い、音、撥使い、体の使い方など、師匠から弟子へと受け継がれていくもの。それ故に、昨今伝承が困難になっているのです。

姿水:「楽譜は音を可視化する方法論。楽譜があれば教えるほうは楽だけど、これで覚えるとある程度までは育つけれど、雑にしかできないし、音に香りが出ない。枯れたというか錆びた音にならないのよね」

 改めて、琵琶の世界の深さを感じる姿水さんの一言でした。

 また、「琵琶の演奏をより楽しむためのポイントを教えていただけますか?」と質問したところ、

姿水:「演目が前もってわかっているのなら、歴史の本に目を通してみるとか、インターネットで調べてみるといいと思います。『あぁ、こういう話なんだ』と分かって聞くと、語りの言葉も理解できますから、より一層楽しめるはずです」

 と教えてくださいました。

 琵琶は基本、他の楽器と演奏したり、複数で演奏することはありません。ある意味、孤高の楽器と言えるでしょう。そして、琵琶は古くなればなるほど味わい深くなると言います。そういう意味で、琵琶と姿水さんは重なる部分が多いと感じました。

姿水:「私はもういいから、次の世代の人たちに任せるわ。だからといって放り出すわけじゃなくって、ちゃんと見ているから」

 有り難いお言葉です。取材陣一同、「これからも関わり続けてください!」と重ねてお願いし、今回のインタビューを終えました。

 なお、姿水さんのご子息、荒井靖水(あらい せいすい)さんも琵琶奏者。古典の枠にとどまらず、現代邦楽を軸に多ジャンルとの共演を試み、国内外を問わず広く活動なさっています。

今後、姿水さん、靖水さんにご協力をお願いし、「櫻庵」での琵琶体験ワークショップも企画したいと考えています。どうぞご期待ください。

※1 「耳なし芳一」のあらすじ

下関・阿弥陀寺に全盲の芳一という琵琶法師がいた。平家物語の弾き語りを得意とし、特に、壇ノ浦の合戦を語らせたら右に出るものがいなかった。ある、夏の夜の事。和尚が不在の際、どこからともなく侍がやってきて、「高貴なお方にお前の琵琶を聞かせてほしい」と言われ芳一は連れ出される。連れていかれたのは大きな屋敷で、沢山の人がいるようだった。そして、芳一が得意する壇ノ浦の合戦を弾き語ると、みな熱心に耳を傾け、口々にほめそやし、語りが佳境に入るとむせび泣く声が聞こえた。

芳一は七夜間、琵琶を聞かせに来るように、そしてそのことは誰にも言わぬように屋敷の者に約束させられる。 芳一はそれを守り、毎夜屋敷に通って琵琶を弾き語ったが、一人出かけて朝方戻る芳一を和尚が不審に思った。そこで下男についていかせると、なんと芳一は墓場の中で琵琶をかき鳴らしており、その周りにはたくさんの火の玉がゆらゆらと揺れていた。その墓は、壇ノ浦の合戦で命を落とした安徳天皇のものだった。

 芳一は無理やり下男に連れ戻され、和尚から「お前は平家の死霊に取りつかれている。このままでは命を落とすので、今夜また侍が迎えに来ても決して行ってはいけない」と言い渡される。

 その夜、どうしても出かけなくてはならない和尚は、芳一が一人きりでも大丈夫なのように、体中にお経を書いた。そうすることで死霊から姿を隠せるからだ。しかし、耳にだけ経を書き忘れたため、芳一を連れに来た死霊の侍に耳をちぎり取られてしまう。寺に戻った和尚は、血を流しじっと耐える芳一に、お経を書き忘れた落ち度を深く詫びた。

 その後、芳一は「耳なし芳一」と呼ばれ、その腕前は広く知られるようになり、何不自由なく暮らせるようになったのであった。

※2 琵琶にはいくつかの種類があり、主なものとして雅楽琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶などがある。成立した時代や音楽の特徴が異なる。

(文:松島恵利子)

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